top of page


借り物のキスは、なぜ強いのか――ベルリンの壁《兄弟のキス》
ベルリンのイースト・サイド・ギャラリーで、あのキスの前に立った。写真では何度も見ていたが、実物は大きい。365×480センチである。キスというより、壁そのものが顔になっている、というのが最初の印象だった。 本人撮影/イースト・サイド・ギャラリーにて ここでまず、問題をそのまま書いておきたい。私がこの作品を良いと思うのは、絵の上手さではない。構思の良さだ。では、構思が良いとは何か。この文章は、その問いへの答えを探すためのものである。 先に、作品について少しだけ書いておく。作品はドミトリー・ヴルーベリによる《神よ、この死に至る愛の中で我を生き延びさせ給え》(通称《兄弟のキス》)、1990年にベルリンの壁に描かれ、2009年に作者自身によって描き直された。つまり現在見ているものは、1990年の壁画の再制作である。もとになったのは、1979年、ドイツ民主共和国建国30周年の式典で撮影された報道写真である。そこに写っているのは、ソ連のブレジネフと東ドイツのホーネッカーである。 ここで、「兄弟のキス」とは何かを確認しておきたい。これは恋愛の表現ではない。社会


なぜ、わざわざ描いたのか――マネ《草地の昼食》とプリート・パルン《Breakfast on the Grass》
この二つの作品はよく並べて語られる。マネの《草地の昼食》。プリート・パルンの《Breakfast on the Grass》。どちらも有名で、どちらも「問題作」と呼ばれてきた。 本人撮影/オルセー美術館にて(2025年6月) 正直に言うと、最初に強く意識したのはマネではなく、パルンの方だった。このアニメーションがあったから、実物を見にオルセーへ行った。 順番が逆だ。 マネの絵は、よく「裸体がスキャンダルだった」と説明される。でも問題はそこではない。問題は、なぜこの場面をわざわざ描く必要があったのかという点だと思う。神話でもない。寓意でもない。教訓もない。説明の理由が、用意されていない。《草地の昼食》は、画面そのものが、少し居心地が悪い。人物同士の関係も、視線の向きも空間のつながりも、どこか噛み合わない。それでも画面は堂々と存在している。理由は示されない。 プリート・パルンの《Breakfast on the Grass》には、最初から説明というものがない。 物語は始まらず、関係は整理されず、終わりも用意されていない。それでも、映像は止まら


止まったままの身体――ルーヴル美術館《ザレウコス》
ルーヴルで、この浮彫の前で立ち止まった。理由は単純で、動いていないのに、時間を感じたからだ。 《Zaleucus》本人撮影/ルーヴル美術館にて(2025年6月) この《ザレウコス》は、出来事を説明する作品ではない。表されているのは、処罰が行われる直前の一瞬だけ。もう決まっている。でもまだ起きていない。その状態が石の中に残っている。 腕は上がっている。脚も前に出ている。しかし、意志で動いている感じはしない。法に動かされている身体に見える。壁から出られないことが、そのまま意味になっている。 表情は抑えられている。筋肉も強調されていない。感情より、構造が前に出ている。その分、緊張だけが残る。 アニメーションは、動きで時間を作る。でも、この作品は逆。動かさないことで時間を作っている。処罰は起きない。ずっと起きる直前のままだ。 作品データ 《ザレウコス(Zaleucus)》ジャン・グージョン工房1560–1564年頃 ルーヴル宮殿南翼・クール・カレ上部装飾の浮彫。正義の象徴とされる立法者ザレウコスは、姦通罪に失明刑を定めた。有罪となった息子に片
bottom of page