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Mark Edwards「白い森」── 静寂と曖昧さに満ちた世界を描く画家

  • 執筆者の写真: Rui Zhao
    Rui Zhao
  • 3月22日
  • 読了時間: 6分


The Last to Arrive (Triptych), 120 x 200cm
The Last to Arrive (Triptych), 120 x 200cm

 マーク・エドワーズ(Mark Edwards)の絵を初めて見たとき、思わず足を止めた――そんな経験を持つ人は少なくないかもしれません。

帽子とオーバーコートの男たちが、雪に包まれた森の中に立ち尽くしている。背景は静かで、どこか不穏でもあり、けれど妙に目が離せない…。

 彼の「白い森」シリーズは、2007年以降、まるでひとつの“並行世界”を描くように続けられてきました。作品のなかで語られるストーリーは決して明確ではなく、むしろ見る人それぞれに「考えさせる」余白が用意されているように感じられます。

 エドワーズ自身は、作品の意味について語ることを避け、「Don’t ask Mark. He doesn’t know.」とさえ言います。

この姿勢からも、彼が大切にしているのは「正解を与えること」ではなく、「曖昧さそのもの」だと考えられるでしょう。

 本記事では、マーク・エドワーズの「白い森」シリーズを中心に、その魅力や世界観、そして彼の制作スタイルについて、少しずつ紐解いていきます。

作品に込められた“言葉にならない何か”に触れながら、彼の描く世界を一緒に旅してみませんか。


 
【Mark Edwardsという画家について】

 マーク・エドワーズは1951年生まれのイギリスの画家で、現在はスコットランド高地を拠点に制作を続けています。彼のキャリアは長く、もともとは「はるかに伝統的な作品」を手がけていたとされていますが、2007年に大きな転機が訪れました。エドワーズ自身が「突然の啓示」と語る出来事をきっかけに、現在の「白い森」シリーズへと大きく舵を切ったのです。

 このシリーズは、自身の暮らすスコットランド高地の森を舞台に構想され、実際に友人たちをモデルにして構図を試しながら生まれたと言われています。彼は帽子やオーバーコートを購入し、モデルたちとともに森の中で撮影を重ね、そこで得たイメージを元に絵画へと落とし込んでいきました。

 興味深いのは、エドワーズがこうした作業の過程そのものを楽しんでいたと語っている点です。人物、コート、木、家といった要素を「ちょうど良い曖昧さのレベル」になるまで動かし続けること。そこに、彼の絵画に対する独特の姿勢がうかがえるように思われます。

 また、エドワーズは制作の中で質感(テクスチャ)を非常に重視しています。彼の言葉を借りれば、「色の層を重ね、サンドペーパーのような表面を作り出す」ことで、作品に奥行きと深みを与えるのだそうです。こうしたこだわりが、彼の描く「白い森」に、どこか触れたくなるような質感を生み出しているのかもしれません。

 このようにエドワーズの画業は、明確な転換点とともに生まれた独自の世界観を持ち、その後も一貫して「白い森」という並行世界を描き続けています。次のセクションでは、具体的にその作品世界の特徴について見ていきましょう。


 
【作品の魅力と世界観の特徴】

Waiting in the Garden, 40 x 50cm
Waiting in the Garden, 40 x 50cm

 エドワーズの「白い森」シリーズには、一見すると静かなのに、どこか不穏さを感じさせる独特の魅力があります。作品を形作る要素はシンプルで、帽子とオーバーコートをまとった男性たちが、雪に覆われた森の中に立ち尽くす――ただそれだけ。けれど、観る者はそこに「何かが起きている」ような気配を感じ取ることになります。

 作家自身が語るように、こうした作品は明確な物語を持たず、むしろ「曖昧さ」こそが意図された特徴と言えるでしょう。例えば、作品タイトルには「呼ばれるのを待つ」「入り方がわからない」「最後に到着する」といったものが並びます。これらは、登場人物たちの置かれた状況や心情を示唆しつつも、具体的な背景や展開については一切語られません。

 加えて、登場人物の顔がほとんど描かれないことも特徴の一つです。顔のない彼らは、まるで「誰でもあり得る存在」として、観る者の想像を受け止めます。その姿は、時に「迷い」や「わずかな絶望感」を漂わせながら、森の奥へと引き寄せられていくようにも見えます。

 さらに特筆すべきは、色彩と質感(テクスチャ)へのこだわりでしょう。全体に抑制されたトーンで描かれるなか、エドワーズは時折「赤」を配し、静寂のなかに「何か異なる出来事が潜んでいる」ことを示唆します。また、層を重ねるように描かれる絵肌は、サンドペーパーのような質感を生み、視覚的な奥行きと、まるで画面に触れられるかのような感覚をもたらします。

 こうした表現は、彼の作品世界に独特の深みを与えると同時に、「見る」という行為そのものを豊かにし、鑑賞者を作品の内側へと誘う力を持っているように感じられます。

 この曖昧さ、沈黙、そしてどこか語りかけるような世界観――それこそが、「白い森」シリーズ最大の魅力ではないでしょうか。


 
【個人的に感じるEdwards作品の魅力】

The First to Arrive, 40 x 50cm
The First to Arrive, 40 x 50cm

 マーク・エドワーズの「白い森」シリーズを見ていると、不思議な感覚にとらわれます。静かな画面の中に、言葉にならない「何か」が潜んでいるようで、しばらく目が離せなくなるのです。

 とりわけ印象的なのは、作品がこちらに「語りかけてくる」のではなく、むしろ「語らないこと」を徹底している点ではないでしょうか。登場する男性たちは、何を考えているのかも、どこへ向かおうとしているのかもわかりません。けれど、その「わからなさ」が、かえって想像力を刺激してくるのです。

 見れば見るほど、「この人たちは誰なのか」「なぜ森にいるのか」――そんな問いが浮かびます。けれど、答えを探すのではなく、ただその空気感に浸っていたくなる。エドワーズの作品には、そう思わせる静かな引力があるように感じます。

 さらに、彼が重ねた色の層や質感にも目を奪われます。画面から感じるわずかなざらつきや、深く沈み込むような色の重なりは、画面越しにも確かな「手触り」を伝えてきます。この質感こそが、彼の描く「白い森」の冷たさや寂しさ、そしてどこか優しい感触を形づくっているのではないでしょうか

 「何も語らないのに、ずっと見ていたくなる」。エドワーズの作品には、そんな魅力があるように思います。作品のなかに足を踏み入れたまま、しばらく森の中を彷徨っていたくなる――そんな感覚に、何度見ても引き込まれてしまうのです。


 
【まとめ:Mark Edwardsの絵が好きな理由】

 「白い森」シリーズには、見るたびに新しい感覚を呼び起こされます。作品はあくまで静かで、語りすぎることはありません。けれど、その沈黙の中に確かに物語が潜んでいて、「自分ならどう読むか」を、いつの間にか問いかけられているような気がします。作家自身が「作品の意味はわからない」と語るように、このシリーズには決まった答えが用意されていません。だからこそ、誰が見てもそれぞれの解釈が生まれる余地があり、その曖昧さこそが、作品の一番の魅力だと感じます。

 また、画面の奥行きや質感へのこだわりも、彼の作品を特別なものにしているように思います。

サンドペーパーのような手触りを感じさせるその表面は、ただ「絵を見る」というよりも、「世界に触れる」ような体験を生み出しています。

 こうした作品は、見るたびにその時々の気持ちや状況によって、全く違う風景に見えることがあるのではないでしょうか。

 何度でもページをめくりたくなる物語のように、エドワーズの「白い森」には、何度でも訪れたくなる世界が広がっている――そんなふうに感じます。


【参考文献・出典】

本記事は、Catto Gallery掲載のMark Edwardsカタログを主な参考資料とし、執筆しました。

日本語・中国語圏では彼についての記事がほとんど見当たらず、貴重な情報源としてカタログ内容を元に構成しています。





© rui

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